こんにちは、こえりです。
これまでブログやnoteに挑戦しては挫折をくりかえしてきた経験から、このブログのモットーは「自然体でゆるく続ける」と設定しています。
とはいえ、たとえ文章であっても人目のあるところで自然体を保つというのは案外難しいもの。
前職では文書やメールの添削をよく頼まれていたのでそれなりに文章は書ける方だと自認しているのですが、ビジネス文書が書けるからといって自分の思いを形にするタイプのアウトプットができるとは限らないことを痛感しています。
多少取っ散らかっていたとしてもOKとハードルを下げ、自分にとって書きやすい方法を手探りしているのですが、ふわふわした自分の内面を外に出して人に伝わりやすいように、でもなるべく誤解のないように形を整えていく作業は楽しくもあり大変でもあり。
脳内の散らかり具合を再現するかのように手を加えれば加えるほど内容が詰め込まれていって気が付いたときにはすっかり迷子になっていて呆然とする……ということの繰り返しです。
アウトプット指南本は「書けない人」のための本
困ったときに頼りになるのはやはり読書!というわけでアウトプット系の本も何冊か読みました。
論理的思考、思考整理法、そしてアウトプット、と段階を踏んで読んでいった結果、仕事で書く文書は我ながら理解しやすく、かつ癖がなくて読みやすいものが書けるようになりました。
ですが、自己表現としてのアウトプットをする際にはこれらの正攻法のやりかたではどうにもうまくいかないのです。
骨組みまでは作れても、肉付け、つまり文章を書いていく段階でボリュームが出すぎてしまうことが多く、そうすると主題もぶれてしまいがち。
文字数が増えたとか主題がぶれたといった場合は複数記事に分ければ解決する、と理屈で分かってはいるのですが、記事を分けてみると今度はかたややたら薄い記事、こなたぎっしり詰まった記事、とバランスが悪くなってしまうんですよね。
結局投げ出してお蔵入りになってしまった記事がたくさんあります。
そもそも文章術の本というのは、「書きたいことがない、または文章を書くことが苦手な人」を対象に、ビジネス文書やレポートなどを書くための指南をしていることがほとんどです。
主題や根拠を考え構造を作り、そこにほんの少し肉付けをしてつなぎ程度の文章を挿入すれば論理的で読みやすい文章が出来上がる、といったもの。
自己表現としてのアウトプットでは、ビジネス文書などにくらべ肉付けの割合が多くなるため、文章量や濃度を調整する作業が発生します。
脳内から無限に話したい事が湧いてくる、といったこえりのようなタイプの場合は「削る」にフォーカスをした訓練もおこなう必要があるのではないか、と気づきました。
自分にとっての理想のアウトプットとは
以前、勝間和代さんのYouTubeで「文章を書くのに時間がかかりすぎる」という視聴者さんからの質問が紹介されていました。
勝間さんはまず相談者が「書けない」タイプであるという想定で回答をし、補足として「収拾がつかなくなっている場合は言いたいことを詰め込みすぎているのでは」という旨の指摘をしていたのです。
そういえば勝間さんの動画はいつも3分前後。
本人の体験や意見といった肉付けの部分の割合が多いのですが、「結論と根拠とそれに関するエピソード」という構造がしっかりしているので冗長さはありません。
それに対し、こえりがこれまで書いてきた文章はどれもこれも言いたいことを詰め込みすぎている……。
そこでいったん基本に立ち返り、そもそも自分はどういったアウトプットを目標としているのか、理想のアウトプットと自分の特性は合致しているのか、と考えてみました。
こえりが目標としているアウトプットは、書籍やYouTubeであれば勝間和代さんや宮本佳実さん、ブログは『筆子ジャーナル』や『スコットランドひきこもり日記』など。
自分なりの幸せな暮らし方を追い求めるだけではなく、他者や社会への貢献を行う姿が魅力的な方達です。
こえり自身もアウトプットを通してこうした理想に近づきたいと考えていたはずなのですが、なぜか「バリバリに情報を詰め込んだ役に立つブログ」を書かなければならないと思い込んでいました。
バリバリとは程遠いたぬきなのに……。
書きすぎ&迷子タイプはアウトプットの前に全体を把握する
クリフトンストレングス(ストレングス・ファインダー)によると、こえりの強みとなる上位資質には「内省」「収集心」「学習欲」が入っています。
そのため、脳内では常に考えが渦巻いており、新しい知識や情報を集めることが止められません。
このようにインプットに偏ったタイプにとって、アウトプットは脳内の情報を外に出して整理するための大切な行為です。
アウトプットというのはブログなどで発信することだけを指すわけではありません。
モーニングページなどの思考整理のツールを使って紙などに書き出すこともアウトプットのひとつの形。
頭の中にあるだけでは考えや感情は雲のように形が定まりませんが、外に出すことで形をもち、客観的な目で観察できるようになるのです。
こえりの場合、思考整理の一環としてのアウトプットには慣れていましたが、人に読ませるためのアウトプットではうまく形を整えることができませんでした。
こえりは料理でも絵でも動画作成でも、大体の場合において途中で作りたいものが変わって方向転換してくので、動きながらアイディアを出して微調整いくのが性にあっているのだと思います。
一方、正攻法である「主題、結論、根拠」をもとに骨組みを作り肉付けしていく、という方法は実際書き始めてから方向転換することは想定していません。
そこで発想を転換することにしました。
まず主題と結論だけぼんやり決めたら好きに文章を書き始め、書きながら方向を定めていきます。
そして大体言いたいことが書けたら全体を眺め、骨組みを作ってそこに合わせて体裁を整え、最後に破綻しているところがないか見直すようにしました。
(後から気付いたのですが、ほぼKJ法です)
当然ながら正攻法の書き方よりも無駄は多くなるのですが、この方法を始めてから文章を書くのが楽しくなりました。
まとめ: 内省タイプのアウトプットは汚部屋の断捨離と心得る
とにかく全部書き出してから文章の体裁にまとめていく方法をとる際には、「書く技術」に加え「削る技術」が必要となります。
あれもこれも削ってしまうのはもったいない気がしてしまいますが、そんなときは「削る」ではなく「残す」ということに着目するとうまくいきます。
断捨離をする際には物を手に取って一つ一つ捨てるか取っておくか考えるよりも、同じ種類の物を一ヶ所に広げてから「何を残したいか」を基準に断捨離していった方が高い効果を見込めます。
アウトプットもそれと同じで、脳内に情報が溢れていて収拾がつかないタイプの人は何を残すかを考えた方が早いのだと思います。
こえりはブログを1記事更新するたびに同じくらいの量の文章をボツにしていますが、本当の断捨離と違ってボツとなった文章は他の記事を書く際のネタとして再利用できます。
完全な無駄にはなりませんので、情報量過多で文章がまとまらないタイプの方は一度試してみてはどうでしょうか。