こんにちは、こえりです。
ミレニアルより上の世代の人の多くは、子供の頃に「悪いことをすると地獄に落ちる」などと脅かされたことがあるのではないでしょうか。
こえりももちろん脅されて育ちました。
そのため、昔から「地獄」の存在は人に悪事を働かせないための抑止力として働いていたのだろうと考えていたのです。
ですが、2022年に開催されていた東京国立博物館の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」で地獄草紙と餓鬼草紙を見たことで、考えを改めました。
もしかして、「あいつはいつか地獄に落ちるから」と溜飲を下げるために存在していたのかもしれない、と。
そもそも地獄とはどんなところ?
日本人が想像する地獄のイメージは、主に仏教由来のものだと思われますが、その地獄のイメージが一般に広がったのは平安時代と言われています。
当然ですがその時代は今よりも死が身近にあったので、きっと強烈に広まり人々の行動規範となったのではないでしょうか。
時代が経つにつれて地獄のイメージにも慣れてくると、創作物の中で地獄の住人にも人間味が出てきます。
落語「地獄八景」では主人公たちに茶化し倒されていますし、現代の漫画などのフィクションに登場する地獄の住人は人間味がない方が珍しいくらい。
地獄のイメージは時代によっても変わるのでしょうが、この記事では着想を受けた東京国立博物館に所蔵されている地獄草紙と餓鬼草紙に描かれている地獄から考えていきます。
地獄草紙とは
生前に犯した罪業によって堕ちるさまざまな地獄の有様を描いた絵巻。(中略)罪人が種々の責苦に苛まれる苦悩と戦慄の模様を,赤と黒を主体とした色調で効果的に表現する。火焔地獄など四場面が描かれる。
——東京国立博物館HPより引用
餓鬼草紙とは
すべての生き物は6つの冥界を輪廻するという六道思想を反映した六道絵の一つ。餓鬼道に堕ちた餓鬼たちのおぞましい姿が赤裸々に描出される。(中略)人間界に出没する憐れな姿や灼熱・飢餓に苦しむ様を,闊達な描線で生き生きととらえている。
——東京国立博物館HPより引用
これらの絵巻物は、2023年に開催された特別展「やまと絵」でも展示されていました。
地獄の効能は「予防」ではなく「ストレス解消」なのでは?
地獄草紙と餓鬼草紙には、「他人に酒を飲ませ、戒律を破らせた者が落ちる地獄」とか「水で薄めた酒を売った者が落ちる地獄」とか「生前酒を水でうすめて売った者や、酒に虫を混ぜて無知な人を騙した者」がなる食水餓鬼(じきすいがき)などなど、さまざまな地獄が描かれています。
お酒がらみが多いのはこえりがゆるソバキュリ中なのでつい目に入ってしまうからなのですが、それはそれとして悪いことのバラエティが豊富すぎませんか?
そしてそのバラエティの豊かさも、自分たちを律するために存在するというよりも、恨みを抱いている他者への願望と考えた方がしっくりくるような……。
現代でいうところの「足の小指をぶつける呪いをかけておいた」に通じるものがあります。
敵が酷い目にあって喜びを感じるのは人間の本能
嫌なやつがひどい目にあうと嬉しいと感じる、非道な行いや非倫理的な行いをした人にひどい目にあってほしいと願う、というのは人間の根源的な特性です。
ドラマやバラエティ、SNSなどでスカッと系のストーリーに人気が集まりやすいのもその証拠。
現世でスカッとするか死後の不幸を空想して溜飲を下げるか。どちらも建設的ではありませんが、地獄という概念が庶民にまで広がって現代まで生き続けているのも、「あいつは悪いやつだからいつか地獄に落ちるだろう」といって溜飲を下げる、つまりストレスを解消できるからなのでしょう。
憎い行動をした人が地獄でどんな目にあうかまで想像して絵巻にする、というのも、表現方法が変わっただけで現代の創作物と同じなのかもしれません。
まとめ:ストレス解消に地獄の妄想を取り入れるのはアリかも
こえりは「自分の人生は自分の責任」「自分を不幸にできるのも幸せにできるのも自分だけ」と信じています。
そのため、相手の愚痴を言ったり不幸を願うようなストレスの発散方法は基本的に行いません。
他責感情が癖になってしまって能動的な解決ができなくなるし、自分の成長にもつながらないと考えているからです。
ですが、正論や建設的思考だけではやりきれない時もあるのが人生。
最後の手段として、こっそり新しい地獄を作って妄想してみるのもありかもしれません。