映画レビュー:生きる LIVING

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先日カズオ・イシグロ版の「生きる LIVING」を観てきました。

カズオ・イシグロは英語学習を始めた頃に興味を持ってから何作か読み、いまでは好きな作家のひとりです。

お恥ずかしながら黒澤作品は未履修のため、黒澤版との比較はできませんが、ネタバレしながら感想を残していきます。

ネタバレしかないので未視聴の方は回れ右(年齢のばれる言い回し)でお願いします。

映画のあらすじ

1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る――。

――『生きる LIVING』公式HPより引用

物悲しくはかない美しさ

物悲しくてはかなくて美しい映画でした。

生死を扱うストーリーで美しさにばかり言及すると、お涙頂戴が前面に出て大味な映画のように聞こえてしまいますが、感情が大きく動くシーンほど抑えた描写になっているのでくどさがありません。

描写が控えめと言っても繊細に丁寧に描かれているので、登場人物の動きや表情からそれぞれの考えていることを読むことができます。

押しつけがましくないけど丁寧という塩梅がこえりにはちょうどよく、気が散ることなく没頭できました。

例えるならひらひら動くバレリーナの指先みたいな感じ?指先まで神経が行き届いていなければひらひらした動きを美しく見せることはできない、という。

映像で特に記憶に残っているのが田園風景を走る汽車。

主人公たちはロンドンまで汽車で通勤しているため、田園風景を走る汽車の映像や、車窓から見える田園風景が何度も映ります。これがなんとも美しくて。なんなら乗客の紳士たちまで美しく見えます。

とても印象的に汽車が使われていたので「黒澤版では日本の地下鉄の満員電車で通勤しているのだろう」と考えていましたが、後日観た黒澤版では特にそういったシーンは描かれておらず、カズオ版独特の演出だったようです。

また、こうした映像や音楽の美しさはもとより、1950年代のロンドンの街並みや衣装も美しかったです。

なんならお役所仕事のたらい回しシーンですらお上品で美しい。

(ロンドン好きなので贔屓目が入っているのは認める)

構成のうまさ

余命もののストーリーなので、当然ながら主人公が亡くなるか死を暗示する描写で映画が終わるとたかをくくって観ていたのですが(せいぜい家族とかが彼を振り返るシーンがあるくらいかと)なんとウィリアムズは物語の中盤で亡くなってしまいます。

この構成の妙にまんまとしてやられ、それまでの時点ですでに号泣だったところに嗚咽がもれました。

時系列ではざっくりと

余命宣告→自暴自棄→使命を果たそうと行動する→事業を成し遂げる→死亡→葬儀→その後

という流れなのですが、物語は

余命宣告→自暴自棄→使命を果たそうと行動する→死亡→葬儀→回想として第三者視点で事業を成し遂げる主人公の姿を描く→その後

という順に進んでいいきます。

全体を流れる物静かで寂しい雰囲気だったところに突然訪れる主人公の葬儀。

いや、中盤までの時点でも十分名作だったのですが、葬儀シーンで居ずまいをただした人は少なくないはずです。

この構成が次の2つの点で活かされています

  • 余命宣告をされていて確実に死ぬことが分かっている、つまり「主人公の死」そのものには意外性がないが、構成によって意外性を持たせることに成功している
  • 中盤の葬儀シーン以降は周囲の人々に回想される形(第三者視点)でウィリアムズを描くことで、主人公の成し遂げた事業がより偉大に見える

こういう構成がバチっと決まったときって制作側も楽しいだろうなぁ。

人生の最後に残る後悔とは?

さまざまな媒体で「人生で後悔していることは?」という高齢者へのアンケート結果が公開されています。

上位に入りがちなのは「もっと勉強すればよかった」「人の目を気にしなければよかった」「もっと挑戦すればよかった」「家族を大切にすればよかった」などなど、今の私たちにも刺さる回答ばかり。

ウィリアムズも余命宣告を受けてからきっと次々と後悔が押し寄せたに違いありません。

彼はまず、「もっと遊べばよかった」と、仕事をサボって海へ旅行したり夜遊びをしたりマーガレットと遊んだりします。

そうして現実から逃げまわった後、自分の使命であった仕事と向き合う決意をし、職場に戻ります。

余命宣告を受けるまでのウィリアムズは仕事人間ではありましたが、仕事への取り組み方は典型的なお役人でした。

仕事内容といえば回ってきた仕事を他部署へ回し、自分たちのところへ回ってきた仕事は保留(という名の放棄)棚へしまうお仕事。

(英国のお役所は未決既決BOXですらおしゃれではありましたが……)

それが職場に戻ってからは「人の目を気にせず」信念に基づいて職務に奔走することで遂にまっとうします。

家族仲の改善には結局進展が見られないまま亡くなったウィリアムズでしたが、それでもラストシーンからは「やれることはやった」という満足感がうかがえます。

おわりに&余談

主人公の葬儀シーンが印象的な作品といえばトルストイの『イワン・イリイチ(イリッチ)の死』。

ある男がイワン・イリイチの葬儀に参加するところから物語がスタートし、イワン・イリイチが元気だったころから体調を崩し亡くなるまでを描いていく構成の短編で、とても短編とは思えない重厚な作品です。

映画鑑賞中に何度かこの小説のことを思い出していたのですが、後で調べてみたところ、黒澤監督がまさに『イワン・イリイチの死』から着想を得て『生きる』を作ったと知り納得しました。

ということは中盤に葬儀が差し込まれる構成は黒澤版を踏襲しているのかもしれません。

興味がありましたらぜひこちらも読んでみてください。

こえりは光文社の新訳版を読みました。ストーリーの面白さはもちろんですが、文体が自然でとても読みやすく、翻訳者の力量にも脱帽した作品です。