こんにちは、こえりです。
たぬきなので仕方がないのですが、こえりは人間としての振る舞いが下手すぎて浮きがちだったこともあり、とにかく人の目が気になるタイプでした。
電車などで笑い声が聞こえてくると「私のことかな?」と不安になるくらい。
そんな感じで緊張しつづけているかと思えば、ちょっと気を許した相手とは反動で騒いじゃったりしてやらかし後悔……と、人間がいるところへ外出するとものすごく消耗していました。
RPGで言うと外にいる間中HPやMPが減っていくタイプのステータス異常。
そんなこえりでしたが、今回外で仕事を始めたというのに外出による疲れはあまり感じていないっぽいのです。
(慣れない仕事で心身の疲れはもちろん感じていますが)
これはどうも自己受容が進んだおかげなのではないかな、と考えています。
無職期間に内省しまくったら「外が怖い」がやわらいだ
もともと心理学や哲学、スピ系といった分野は好きだったのですが、前職を退職してからさらにどっぷりハマっていました。
スピリチュアルやポジティブ心理学に造詣のある方なら分かると思うのですが、この系統は「ダメな私も受容しましょう」、つまりダメな自分をダメなまま受け入れて愛しましょうといった言説が多いです。
誰かに認められなくても、そもそも自分で自分を認められなくても、そんな自分もひっくるめて「あなた自身」だと受け入れましょうと言うのです。
こうした考え方は目標があって努力しているときには「人間はダメな自分を克服したいから成長していく生き物じゃないか」と相容れなかったのですが、メンタルが落ちていてお酒に逃げてリアル「ダメな私」なときに響いてくるんですよね……。
(なんか騙された人の回顧録みたいになってしまっているけど全然そんなことはないです!笑)
これまでもジャーナリングや掘り下げなどで内省的なことは続けていたのですが、「ダメな自分」の時に取り入れたことで自己受容への障害がなかったのがよかったみたいです。
こえりは大学で心理学系の単位もいくつかとっていたので、体系的な知識のはしっこには触れたことがあったというのも良かったのかもしれません。
胡散臭い系のスピからも普遍的な考え方を取り入れることができました。

基本って大事
自己受容が進んだ結果、以前までなら応募もせずに諦めていたであろう仕事にダメ元で応募できたので今とてもいい環境で働くことができています。
自己受容というのは「自分との信頼関係を構築すること」なのだと感じています。
どこでも「ありのままの自分」でいる必要はない
自己受容が進んで「ダメな私」も愛せるようになりましたが、それはそれとして社会生活を送る際にずっとありのままの自分でいるわけではありません。
「ありのままの自分」がTPOにそぐわない場面はたくさんあります。
以前は「その場に望ましい誰か」を必死で演じ、そのたびに「本来の自分の姿は絶対にバレてはいけないんだ」と緊張しつづけていました。
ですが、現在は本来の自分がちらっと覗いても構わないと思えるように変わりました。
「TPOに応じてありのままの自分をアレンジするくらいで大丈夫」という安心感があるのでほとんど消耗しません。(むしろちょっと楽しいまである。)
最終的にはありのままの自分でいても問題のない仕事や環境を選ぶのが理想なんだろうとは思いますが、それは年単位で探すか作るかすればいいかな、と。

そもそもそんな場所あるのか?
自己受容が進むと自己開示への抵抗感も減った
そんなわけでまだまだ外では「それっぽい自分」を演じていますが、自己受容が進み人の目を克服できたことで自己開示をすることへの抵抗感もだいぶ減りました。
これは年齢を重ねたことで自分の失敗パターンと成功パターンをだいたい把握できてきたことも大きいかもしれません。
相変わらず詰めが甘くて公私ともに失敗の多い人生ですが、だいたいの失敗は取り返しのつくうちに気付いて軌道修正できるので大きな痛手を負うことはほとんどなくなりました。
この調子で少しずつ自己開示の割合を増やしていけば、外でももっとリラックスできるようになるのかな、と楽しみにしています。
まとめ:自己受容はゴールではなくスタートだった
自己受容が進むことで、アラフォーにして自分自身と初めて和解できた気がしています。
こうなってみて初めてわかったのですが、これまで自分自身とは「利害が一致したら協働するけどお互いに監視し合っている」ような関係性だったのかと。
なんにせよ一つの大きなステージをクリアできた感があります。
結局私が一番恐れていたのは「自分の目」だったのかもしれません。
次のテーマは自己解放とか自己開示かな?
当時のこえりのように人の目を気にして外で安らげないという人は、まずは自分自身との関係改善を試してみるといいかもしれません。