第三者の発言に傷付いたときに振り返りたいこと

こんにちは、こえりです。

実はブログという存在が一般的ではなかった20年ほど前(テキストサイト全盛期!)にHPを運営していたことがあります。

文章を書くのも掲示板での交流も楽しかったのですが、読者の方が増えるうちに「自分の言葉に傷付く人が出ないように」とか「この言い回しだと誤解を生むかもしれない」と肩に力が入るようになり、続けることが難しくなっていきました。

こえり自身も人の文章に傷ついたり腹が立ったりすることがありますが、直接自分に言われたわけでもない他人の発言に傷付いてしまうのはなぜなのでしょうか。

他人の発言へのいら立ちは自分のコンプレックスや弱点の裏返しかも

こえりの場合ですが、他人の言動に傷付く、腹が立つ、という気持ちを深掘りしてみると、実はその言動自体に原因があることはあまり多くありません。

(法に触れているとか倫理的にアウトな発言は通報するなりブロックするなりしてさっさと忘れてしまえばいいので対応としてはむしろ楽)

そうではなく、言動がどうにも鼻につくとかモヤっとしてしまう、みたいな場合(誤解を生んでいる状態?)は、発信者よりも受け手であるこえりの側に問題があることが多いです。

これは別にこえりが悪いという意味ではなく、自分のコンプレックスを逆撫でされたとか、過去に起こった嫌な出来事や嫌な人物を投影してしまっていることに問題の原因があるということ。

こえりが他人にイラっとする原因は割と単純です。

自分が必死になって隠そうとしている短所やコンプレックス、つまり弱点を晒して受け入れられている(ように見える)人に対して「こんな短所をさらけ出すなんてみっともない」「短所を隠さなくても許されるなんてうらやましい」といった嫉妬や劣等感といった感情が湧き上がって「怒り」として表に出てしまいがちです。

自分の短所はなるべく目立たないように隠している人が多いはず。

それでも目についてしまうということは、「コンプレックスがあるこえりだから気が付いた」のか「そもそも当の本人は短所として認識していないから隠していない」のだと思います。

コンプレックスのない人間はいないのでこういった感情が湧くこと自体は避けられませんが、どちらの場合であっても相手を責めるのはお門違い。

とはいえ嫉妬は成長の起爆剤にもなるので、不健康にならない程度であれば持っていてもかまわないと考えています。

むしろ、「自分が悪いのだからこんなふうに思ってはいけない」とか思うと余計引きずるのでおすすめしません。

批判されて傷付くのは他者評価に依存している可能性も

発信する際にできるかぎりの配慮をするのは発信者としての責任ではありますが、その一方で他者の発信に傷付いたからと相手を責めることも違うと考えています。

だとしたら、なぜ当時のこえりは「自分の言葉に傷付く人が出ないように」という考えで発信が難しくなっていたのでしょうか。

おそらくその原動力は「批判されたくない」「人から嫌われたくない」、もっと言えば「本音で話したら嫌われる」という自己肯定感の低さにあったのだと思います。

自己肯定感が高い人は自分のいいところも悪いところもそのままを受け入れられます。

コンディションや環境によって揺らぐことはもちろんありますが、「まあでもそんな部分も含めて私だしな」と最終的に立ち直ることが可能です。

一方、自己肯定感が低い人は自分で自分を評価する軸が弱く、他者からの評価に依存してしまいがち。

他者から評価されると自己評価は上がりますが、自己肯定感が育たない限りはいつまでたっても他者の顔色をうかがうところから抜け出せません。

また、他者からの評価を自己評価の基準にすると、どうしても承認欲求が高まります。

承認欲求自体は悪いものではありませんが、過剰になると「コツコツと努力をして目標を達成する」ことよりも「他者から評価されやすく手っ取り早い成果」を手に入れようとして間違った努力をしてしまうことになりかねません。

自己肯定感をはぐくむのには時間がかかります。

それまでは他者評価を基準にするのは仕方ありませんが、流動的な評価ではなく資格や転職サイトでの市場評価といった客観的な指標を基準にしてみると少しは気持ちが楽になると思います。

他者評価からの依存を抜けるには

こえりは人に対する共感能力が低く、現実社会でも突然怒りをぶつけられることがあるのでおそらく知らないうちに相手の逆鱗に触れてしまうタイプだと自覚しています。

昔は自己肯定感が低くて他者からの評価に完全に依存していたので、「どうしてうまくやれないのだろう」「どうして他人を理解できないのだろう」としょっちゅう落ち込んでいて、人と関わりを持つことに恐怖を感じて閉じこもる始末。

ですが、少しずつ自分軸で生きるように変えたことで、傷ついたり腹が立ったりしても食べて飲んでお風呂に入って一晩眠ればほとんど後に引くこともない、というところまで図太く成長しました。

これまで別の記事でも自己肯定感を上げるために本をたくさん読んで考え方などを少しずつ取り入れたことは紹介してきました。

思考や習慣を変えていく過程で勉強習慣をつけ、仕事に関連する資格をいくつか取ったことは自己肯定感をはぐくむうえでとても役に立ちました。

資格は「他者からの評価」ではありますが、一度取ればなくならないので揺らぎません(有効期間があるタイプの資格だとしても合格した実績は自分に残ります)。

性格を変えたり人間関係を改善したりするのは効果を感じにくいうえに時間もかかりますが、資格ならば早ければ1ヶ月かからずに手に入るので挫折しづらいです。

そのうえ記録として残るので「自分は目標を達成できる。やればできた」という自己効力感もはぐくみやすい。

性格改善や人間関係の改善といった長期計画に取り組むかたわらで、効果の出やすい短期目標を達成していくことで少しずつ、けれど確実に自己肯定感を高めていくことができます。

まとめ:お互いさま精神は自衛にもなる

誰でも発信できる世の中では、知らない人を傷付けてしまう可能性も突然の流れ弾で傷付くことも避けられません。

傷付けるのも傷付くのもできれば避けたいものですが、原因が自分のコンプレックスや弱点なのであれば、どこまで逃げても避けようはないでしょう。

とはいえ「こんなことで傷付く自分が悪い」と責めてしまっては本末転倒です。

他責でも自責でもなく、「(悪意がない限りは)お互いさま」のスタンスでいながらも、どうしてもイラっとしてしまったときは自分への起爆剤として努力できる方向に使えると健康に付き合っていけるのではないかと思っています。